元祖自作erのためのおすすめゲーミングPC

BTOパソコンならショップブランドPCという日本の事情

BTOパソコンは本家アメリカと日本では若干異なる経緯を辿って発展してきました。これがその後のBTOパソコンの販売形態についても影響を与えています。

 

アメリカでのBTOパソコンの代表例 「Dell」

 

技術仕様が公開されたことで、IBM PC/ATパソコンは「互換機」という市場を産み出しました。パーツの規格が統一されているため、正しくパーツを集めれば、誰でもパソコンのかたちに組み立てることができるようになったのです。これは、使用用途、予算などに応じて、パソコンの仕様を注文ごとに変えて提供できることをも意味します。アメリカでは、Dell、ゲートウェイ2000など、多くのBTOパソコンのメーカーが登場し、ダイレクト販売を拡大していきます。そのなかでも巨大メーカーに成長していったのがDellでした。アメリカ市場においては、BTOパソコンならDellという状況となっていきます。

 

日本語表記の問題

 

コンピューター上で、英語をはじめとする欧米の言語の多くは1バイト文字であるのに対して、日本語、中国語、韓国語などは2バイト文字となります。コンピューターを管理する基本ソフト(OS)上、これは非常に大きな違いであり、2バイト文字である日本語をコンピューター上に出力するためには、特殊なハードウェアが必要でした。当時、世界標準機となっていたIBM PC/AT互換機をそのまま使用することができなかったのです。当然、日本ではBTOパソコンという市場も誕生することはありませんでした。

 

PC-9801シリーズが国民機に

 

日本語表記の問題をクリアし、日本市場において国民機とも称されるほどの独占市場を築いたのが、NECのPC-9801シリーズでした。日本において、パソコンは完成品を購入することが当たり前であり、価格も比較的高価な時代が長く続いたのです。PC-9801シリーズの主な販路である家電量販店は、販売チャネルとしても非常に強力であり、メーカーのダイレクト販売がなかなか立ち上がらない要因ともなりました。一種のパソコン鎖国ともいえる状態のまま、1980年代は推移していったのです。

 

DOS/Vの登場〜BTOパソコンならショップブランドPC

 

この状況を一変させたのが、1990年のDOS/Vの登場です。ソフトウェア的に日本語表記を可能とするDOS/Vは、IBM PC/AT互換機でも日本語出力を可能とし、ここに秋葉原などの電気街を中心に、一気にPC自作ブームが訪れることになりました。IBM PC/AT互換機であれば、PC-9801シリーズに比べて、安価で高性能なパソコンを組むことができたのです。自作パーツを組み合わせたBTOパソコンも、PCパーツ販売の発展形として、有名パーツショップを中心に展開されていきました。日本においては、BTOパソコンならショップブランドPC、という状況が現れてきたのです。

 

激しい競争を経て

 

PCパーツショップは激烈な価格競争を繰り広げ、現在では大きく3つのショップ群に集約されています。設立順に、ツクモ(但し経営不振によりヤマダ電機の傘下に入っています)、ドスパラ、そしてマウスコンピューターを中心とするMCJグループです。とくにMCJグループは、有名パソコンショップを多数傘下に持つユニットコム社を吸収合併したことで、規模的には日本でも最大級の企業グループを形成することになりまる。これらのPCパーツショップの拡大により、BTOパソコンならショップブランドPCという状況が確立されていきます。